プーチン大統領の正体:KGBで裏社会を暗躍、ロシア政界を掌握した男の知られざる経歴とは?

記事を最初から読む

プーチン大統領のロシア政界を掌握した恐ろしい「イメージ戦略」


プーチンが首相になって間もない1999年9月、ブイナック、モスクワ、ヴォルゴドスクで連続爆弾テロが発生。この事件で、ロシア人300人が死亡、1,000人以上が負傷しました。

このテロはロシア全土に衝撃を与え、国民は恐怖におののきました。ロシア情報機関はすぐにチェチェン共和国のテロリストの犯行と断定し、プーチンは「テロリストはどこまでも追跡する。便所にいてもぶち殺す」と復讐を誓い、第二次チェチェン戦争を起こします。

プーチンは、その強硬な姿勢と行動で国民的英雄となり、その後の大統領選で大勝利を収めます。ただ一つ問題が生じました。それはこのテロが、ロシアの偽旗作戦だったと疑われたことです。


9月22日に起こった「リャザン事件」では、通報した住民が「不審者3人はロシア人だった。チェチェン人ではない」と証言。さらに、通話記録からFSB(ロシア連邦保安庁)の関与が疑われます。

加えて警察が発見した爆薬が「ロシア軍で使用されている爆薬と同種のものだった」と判明。これについてFSBの当時の長官は「訓練のために仕掛けたダミー爆弾」と公表し、この事件は終わりました。しかし事件の後、爆弾テロ事件を調査した多くのジャーナリストや調査員は命を落としているそうです。


また、元KGBのアレクサンドル・リトビネンコ氏は、プーチン大統領がマンション襲撃を実際に命じたという疑惑を公表しました。なお、彼はその後、放射性物質によってロンドンで毒殺され、死亡しています。

プーチン大統領は支持力が強い間に、大統領の任期制限の変更に取り組み、政治力を強化。2008年に大統領を辞任して再び首相となり、2012年に3度目の大統領に就任し、現在に至ります。


さらに2021年には、プーチンは大統領の任期を延長する法律に署名し、2回の出馬の機会を得て、2036年まで政権を維持する可能性まで出ています。このような手段を選ばない徹底した地盤固めが、プーチン大統領の権力を支えているのです。

プーチン大統領の巧みなイメージ戦略。年齢や家族、私生活は?


プーチン大統領はロシア国民の支持を得るため、タフガイとしてのイメージを堅持してきました。彼の年齢は69歳に達していますが、私生活ではホッケーから釣りなど様々なスポーツをし、乗馬も行っているそう。また、彼は柔道の達人としても知られています。

プーチン大統領は1983年7月28日に、元客室乗務員でレニングラード大学で文献学専攻の学生だったリュドミラ・シュクレブネワと結婚し、妻に迎えました。娘は2人おり、1985年4月には長女のマリーヤ、1986年8月には次女のカテリーナが誕生しています。

普段は煙草は吸わず、酒もほとんど飲まないそうです。犬好きでもあり、自身もラブラドール・レトリーバーを飼っているとのこと。ただしこれらの一部は、プーチン大統領が権力を維持するためのプロパガンダだとも指摘されています。

記事を最初から読む

参考になったらシェアお願いします!
Twitterへ Facebookへ はてブへ Pocketへ
▼新着記事やオススメ記事を投稿中!