プーチン大統領を止められるかもしれない唯一の男


ウラジーミル・プーチンは、22年間ロシアの皇帝として君臨しています。そんなプーチンはオリガルヒと呼ばれるロシアの富豪たちに支えられています。そして、その中の「ウラジミール・ポターニン」という男は、とてつもない影響力を持っています。

ポターニンが影響力を持っている理由と、プーチンとの関係について、海外YouTubeチャンネル「Logically Answered」が解説しています。




*Category:テクノロジー Technology|*Source:Logically Answered,wikipedia

プーチン大統領を支える「ウラジミール・ポターニン」とは?


プーチンは、これからも力を持ち続けそうです。なぜなら、彼の支持率は80%を超えているからです。もちろん、この数字を信じない人も多いでしょうが、この数字は非常に重要なのです。

この数字は、一般大衆の支持を示すものではないかもしれませんが、彼の側近の支持は示されています。

プーチンが戦争を始めても、ロシア経済を危険にさらさずにいられるのは、ロシアの金持ちである何十人もの「オリガルヒ」がバックアップをしているからです。

そもそもプーチンを大統領にしたのも、こうしたオリガルヒたちです。そして、このオリガルヒの中で最も注目されているのが「ウラジミール・ポターニン」という人物です。ポターニンは、ロシアで最も裕福な人物で、その資産は310億ドル(約4兆円)にものぼります。

その桁外れの財産もさることながら、ポターニンはロシアの元第一副首相でもあります。彼は、エリツィンを大統領にしたことで、この地位を手に入れました。

そしてポターニンは、どのようにしてプーチンをロシアの皇帝にしたのでしょうか。

ポターニンは1961年1月3日、モスクワで生まれました。当時は冷戦の真っ只中で、キューバ危機も間近に控えていました。そのため、ポターニンの子供時代は、共産主義者のプロパガンダと反米感情で満たされていました。特に、父親のオレグがそうでした。

オレグは、ソ連の外交官として、ニュージーランドやオーストラリアなど、国際的に活躍する人物でした。一方、ポターニンの母親は医者で、オレグの出張に同行することも多かったようです。そのため、ポターニンは祖父母に預けられることが多くありました。

しかし、ポターニンは、その機知と知性の多くを、両親のおかげだと言っています。そして、ポターニンは父と同じモスクワ国立国際関係大学に入学することになります。

この大学は、KGBやクレムリンに就職するための大学であり、1983年に卒業したポターニンは、まさにそれを目指していました。彼の最初の就職先は、FTOソユーズプロムエクスポートという対外貿易省の一部門です。ここで20代のすべてを過ごし、ソ連の内情を学び、人脈を築いたのです。

もしソ連がまだ強かったなら、彼がこの省を辞めていたかどうかは、全く分かりません。なぜなら、ソ連が崩壊した1991年にポターニンも省を去っているからです。まるで、ポターニンは先のことを見越して退職したようなものです。

彼は在任中に多くの有力なコネクションを持つことができ、そのコネクションを使って「インターロス」という民間団体を立ち上げました。インターロスは、アルミニウム、銅、鉛など、一般的な金属を扱う業界団体です。

ロシアには、これらの金属が豊富にあるので、周りからはポターニンは古典的な原料ビジネスを構築しようとしているように見えていました。しかし、本当の目的はそうではありませんでした。

インターロスは、ポターニンの真の稼ぎ頭である「株券等貸借取引」を行うための隠れ蓑だったのです。

株券等貸借取引は、ロシア独自のものであったため、ほとんどの人に馴染みがありませんでした。実は、この計画や構想の首謀者はポターニンだったのです。

そして国際金融公社とオネクシム銀行という2つの金融機関が設立されたのが始まりです。ポターニンは、ミハイル・プロホロフというビジネスパートナーとともに、この2つの金融機関を設立しました。このプロホロフも現在ではすごい億万長者になっています。

ポターニンは銀行の社長になり、2人は預金者を募集することになります。競争相手がいなかったため、簡単に預金者を集めることができました。ソ連では民間銀行が禁止されており、全国で唯一の銀行はゴスバンクという中央銀行だけでした。

ポターニンが設立したオネクシム銀行は、ソ連崩壊後、いち早く誕生した銀行の一つであり、ポターニンの大臣時代の人脈もあって、瞬く間にロシア最大の民間銀行となりました。ポターニンはお金を味方につけたことで、このお金を活用するようになっていきます。

当時のロシアには、株式市場もなければ、有名な民間企業もありませんでした。そのため、ポターニンは、企業のオーナーになろうと思えば、政府と交渉するだけでよかったのです。

ポターニンは政府がどうしても必要としている「現金」を持っていました。当時、ロシアの大統領はエリツィンで、再選を目前にしていました。しかし、ロシアでは流動性危機が叫ばれており、再選は絶望的な状況でした。

そこで、エリツィンは、ロシアと自分の大統領職を守るために、資金調達の方法を模索し始めます。そこで、ポターニンが提案したのが「株融資」です。ポターニンは、政府に対して信用貸しを行おうとしました。

エリツィンが国営のエネルギー・鉱山会社12社を担保にすれば、ポターニンとそのビジネスパートナーは政府を救済し、エリツィンの再選キャンペーンに資金を提供すると提案したのです。エリツィンはもちろんこの取引に応じ、ポターニンはエリツィンの再選に協力することになりました。

しかし、これでロシア政府の方向性が変わったかというとそういうわけではありません。ただ、ポターニンの資金で、あと数年は生き延びることができました。

その後、ロシアは再び流動性危機に直面し、1998年のロシア財政危機で終焉を迎えることになります。この危機の中で、ロシアは債務不履行に陥り、ポターニンとその仲間は担保を確保することができました。

多くの金融機関にとって、これは決して理想的なことではありませんでした。当時のロシアでは、株や不動産などの担保を手に入れるよりも、お金を返してもらう方がいいに決まっているからです。

しかし、ポターニンとその仲間にとっては、それこそが彼らの望むところでした。なぜなら、ロシアへの融資は、担保の割に非常に少額だったからです。彼らはロシアというマージンを得て、億万長者になっていったのです。

これだけの失敗をしたため、エリツィンが国民の支持を失ったと言われても仕方がありません。エリツィンは、選挙に勝てないと判断して、身を引きました。

そして、2000年の任期満了の直前にエリツィンは辞任に踏み切り、次の選挙までプーチンを大統領代行に据えることにしました。その頃、ポターニンは人生を謳歌していました。

エリツィンの初当選後、ポターニンは第一副首相に任命されました。しかし、ポターニンは長くは続けず、1997年3月に退陣します。退陣の理由は「これから起こることを予感し、危機の片棒を担ぐのが嫌だった」からだそうです。

それから、彼は価値のある企業を育て、そうでない企業を売却することに時間を費やしました。例えば、ニッケルの採掘・製錬会社であるノルニッケルの54%の株式を守ることに熱心になっています。一方、スヴャジインベストのような他の会社のポジションなどは売却しようとしていました。

スヴャジインベストは、ロシアの大手通信会社でしたが、ポターニンは内部がダメな会社であることを知っていたようで、自分のポジションを売却できそうなターゲットを探しはじめていました。

そして、ソロスを説得して、9億8千万ドル(約1,300億円)を出資させ、その見返りとして25%の株式を与えました。ソロスは、これが「人生最悪の投資」であったことを、やがて知ることになります。

ここまで、エリツィンとソロスを見殺しにしてきたポターニンですが、すべての人間関係に無頓着だったわけではありません。彼が非常に大切にしていたのが、プーチンとの友情でした。

プーチンが長期政権を維持することは明らかであったため、プーチンと仲良くしておくことが得策であると考え、まさにそれを実行したのです。米国財務省によると、プーチンの側近は210人で構成され、そのうち96人がオリガルヒだそうです。

その中でもポターニンは一番の富豪であり、プーチンにかなりの影響力を持っていることは間違いありません。そして、プーチンに対して影響力を持った今、ポターニンは、再び裏切り行為に走ることになります。


ポターニンが最初に敵対した人物の一人がミハイル・プロホロフです。プロホロフは、ポターニンがオネクシム銀行を設立する際に協力した人物であり、最終的には株式融資制度を作った人物です。

2007年、ポターニンはプロホロフと決別し、ノルニッケルの株式を買い取ると発表しました。ポターニンは、プロホロフに10億ドル(約1,300億円)という金額を提示しました。しかしプロホロフによると、25%の株式は150億ドル(約2兆円)の価値があるようです。

そして、プロホロフはプーチンに助けを求め、プーチンはプロホロフの味方をします。プーチンは何よりも忠誠心を重んじていますが、ポターニンは明らかに忠誠心がありません。プーチンはポターニンを呼び出して「パートナーを騙すのは不誠実だ」と叱咤激励したのです。

プーチンのおかげで、プロホロフは自分の持ち株をオレグ・デリパスカに売却することができ、デリパスカは妥当な80億ドル(約1兆円)を彼に渡しました。

ポターニンは不満に感じており、次は2012年までデリパスカと争い続けました。そして、ロマン・アブラモビッチという人物がノルニッケルの株式6.5%を購入し、両者の仲立ちをすることになります。

これでポターニンとデリパスカの争いは収まりましたが、今度はポターニンがアブラモビッチに争いを持ち込みます。2018年2月、彼はアブラモビッチから4%を買い取ると申し出ました。ポターニンは自分の欲しいものを手に入れるまで諦めないのです。

彼が冷酷な他のビジネスマンと戦っているだけなら、これはそれほど大きな問題にはなりません。

しかし、彼の行動が環境に影響を与えると、環境を保護する人がいないため、かなり問題になってしまいます。歴史的に見ても、ノルニッケルはロシア北極圏の最大の汚染源の1つです。

2013年時点で、ノルニッケルは毎年500トンの銅とニッケルの酸化物、そして200万トンの二酸化硫黄を排出しています。この汚染により、この地域に住む人々の寿命は、ロシアの他の地域に比べて10年も短くなっています。

プーチンはかなり前からポターニンに公害を減らすように要求していますが、ポターニンはまだ意味のある行動をとっていません。どちらかというと、事態は悪化する一方です。

実際、2020年5月には、ノルニッケルが石油流出事故を起こし、2万1000トンのディーゼルがロシアの河川に溢れかえっています。これはロシアで史上2番目に大きな油流出事故であり、ノルニッケルに20億ドル(約2,500億円)の罰金を科す結果となっています。

金銭的な罰がポターニンのやり方を変えるのに十分であればよいのですが、それは時間が経ってみないとわかりません。今のポターニンは、悪事に手を染めながらも、順調に業績を伸ばしています。

ポターニンの会社であるノルニッケルは、西側諸国から制裁を受けていないロシア最大の企業の1つです。イギリスやカナダなど、ごく少数の国だけが彼の会社を制裁しています。

ポターニンの会社が世界の金属産業にとっていかに重要であるかを考えると、他の国はポターニンに何のアクションも起こせないのです。そのため、ポターニンはロシアの億万長者の中で、今年に入ってから財産を減らしていない唯一の人物なのです。

ちなみに、他のロシアの億万長者たちは、今年に入ってから50億ドル(約6,700億円)から100億ドル(約1兆円)も資産を減らしています。これは、ポターニンにとって、物事がうまくいっている証拠です。

プーチンの暴走を止めることができるのは、もしかするとポターニンだけなのかもしれません。しかし、彼は制裁で痛手を負っているわけでもないため、今後、彼の富や影響力がすぐになくなるとは思えません。ポターニンが公害を減らし、不必要な戦争を支援する代わりに、その影響力を良い方向に使ってくれることを願うばかりです。

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