「アンちゃん」と呼ばれる有名な心肺蘇生法の訓練人形には、実はモデルとなった少女がいます。訓練人形のモデルとしてその少女が選ばれた経緯について、海外メディア「sciencealert」が解説しています。
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「心肺蘇生法の訓練人形」と「少女」の関係とは?
1880年代の終わりごろ、セーヌ川のルーブル河岸から16歳と推定される一人の少女の遺体が引き上げられました。その遺体には暴行の痕跡がなかったことから、自殺と考えられました。
少女はセーヌ川から引き上げられた後、パリの霊安室に運ばれ、身元確認のために他の遺体とともに公開展示されました。しかし、その少女の身元は判明しませんでした。
身元が分からなかったため、遺体を埋葬擦る前に、少女の顔の石膏型(デスマスク)が作成されました。しかし、少女の穏やかな佇まいは人々の目を釘付けにし、このデスマスクが広がっていきます。
その後、デスマスクは似顔絵や仮面として複製され、やがてドイツ、そしてヨーロッパ中へ広がっていきます。中には、少女の仮面を壁にかけるという家庭もあったようです。
そして、少女が亡くなって数十年後のある日、2歳の子供が溺れるという事故が発生します。幸いにも父親が救助し、息子の気道から水を押し出し、一命を取り留めることに成功しました。ただ、もし水を上手に押し出せていなかったら呼吸ができない時間が増加し、事態はまったく違ったものになっていたでしょう。
そこで、蘇生法を練習する訓練人形が必要だと考えられました。人形を作る技術者が人形をどのような顔にするか悩んでいたところ、壁にかけられている「セーヌ川で亡くなった少女」の仮面を目にします。そして、技術者は心肺蘇生法の訓練人形の顔をその少女にしました。
1960年以降、多くの心肺蘇生法の講習会でその人形は使われるようになっていきます。このような経緯で「セーヌ川で亡くなった少女」は心肺蘇生法の訓練人形のモデルとなったのです。