【プロ野球】球界の常識を覆すヤクルト春季キャンプと伊藤智仁投手コーチの深謀遠慮

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セントラル・リーグ(セ・リーグ)3連覇と日本一奪還を目指すヤクルトスワローズ春季キャンプが2月1日、沖縄県浦添でスタートしました。球界のこれまでの常識を覆すブルペン投球時の球数制限が設けられたそうです。考案したのは伊藤智仁投手コーチ。現役時代、史上最高と言われた高速スライダーを武器に1年目から大エースとして君臨。しかし、前半戦で戦線離脱。一時はカムバック賞を獲得する等復帰したこともありましたが、結局は往時の状態に戻れず引退。投手の投げ過ぎや故障について、誰よりも知っている伊藤コーチが取り組む球界の非常識キャンプにフォーカスします。

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バルセロナ五輪でギネス記録を樹立

セ・リーグ3連覇日本一奪還を目指す高津臣吾監督が同じ投手出身で絶大な信頼を置くコーチがいます。投手コーチの伊藤智仁さんです。現役時代、150キロを超える速球と高速スライダーで1年目から大活躍したエースでした。

投手としての伊藤さんのサクセスストーリーは、社会人野球に取り組んでいたころから始まります。地元京都の三菱自動車に入社。都市対抗野球大会に出場。さらに1992年、元西武ライオンズの杉山賢人さんや元ソフトバンクホークスの小久保裕紀さんらと共にバルセロナオリンピックの日本代表に選ばれます。

そこで1大会27奪三振のギネス記録を樹立し、日本の銅メダル獲得に貢献しました。その後、ドラフト会議で3球団が競合の中でヤクルトスワローズが指名権を獲得。背番号20番を与えられて入団します。

当初球団フロントは松井秀喜さんを1位指名する予定。しかし、これを覆したのは当時監督だった野村克也さんでした。伊藤さんの指名にこだわり、フロントの考えを押し切ったと言われています。

前半戦だけで7勝、防御率0.91で新人王を受賞

1992年に14年ぶりのリーグ優勝を果たしたヤクルトですが、投手陣の底上げが喫緊の課題でした。そのようなチーム事情の中、4月20日の対阪神タイガース戦に初登板を果たします。結果は7回を10奪三振2失点。デビュー戦でいきなり勝利投手になります。

ここから伊藤さんの怒涛の快進撃がスタート。前半戦だけで7勝2敗、そして防御率は0.91を記録。分かりやすく考えると、伊藤さんが投げる試合は1点取れば勝てることを意味します。

さらにサヨナラホームランで負け投手になっても、セ・リーグタイの16奪三振を記録。伊藤さんの活躍にヤクルトファンのみならず野球ファン全体が注目するようになりました。そのフィーバーぶりは投手と打者の違いはありますが現在の村上宗隆選手の状況に似ています。

野村克也さんが伊藤さんに謝罪

一般的に、大きくゆっくり曲がるカーブに対し、スライダーは120から130キロほどで小さく鋭く曲がるものとされています。しかし伊藤さんの伝家の宝刀の「高速」スライダーは、それまでの常識とされた速度を上回る140キロ台で大きく曲がるものでした。

これを可能にさせたのは、生まれつき肩の可動域が広く、かつ大きく反り返ることができるひじを持っていたからだと言われています。つまり腕全体がムチのようにしなやかだったということです。

しかし、今でこそピッチャーの球数に対し神経質なまでに考えるようになりましたが、当時はエースたるもの先発完投が理想とされていました。中5日のローテンションで毎回奪三振を記録するような伊藤さんの投球スタイルでは、毎試合150球以上投げていたようです。7月に違和感から戦線離脱。その後はクローザーとしてカムバック賞を獲得するなど、1軍に復帰して活躍することもありましたが、手術とリハビリに明け暮れる野球人生でした。

後年テレビ番組で野村克也さんは伊藤さんに直接謝罪しています。伊藤さんの登板過多による故障の責任は自分にあると語りました。しかし、伊藤さんはケガをしたのは自分のせい。最後まで投げるのが投手の使命だと思っていたと答えています。

伊藤智仁投手コーチだからこそできた球界の非常識トレーニング

登板過多によって選手寿命が短かった伊藤さん。しかしその経験を逆手に取ったトレーニングを、連覇を目指すヤクルトの春季キャンプで実施しています。

ブルペンでの投球に球数制限を設けたのです。プロ野球における春季キャンプの一番の目的は公式戦に向けた体作り。そのため、体力の限界まで自身を追い込む練習が多いです。ピッチャーで言えば、公式戦で想定される球数以上を投げて1年通して投球できる体を作ります。

しかし、伊藤さんはこの常識にストップをかけました。体作りのための練習が、体を壊すことになっては元も子もないからです。辛く苦しい経験をした伊藤さんならではの考え方と言えます。

高津監督自身も選手個々人の調子や体調に大変気をつかって連覇を成し遂げました。伊藤さんの試みは監督の考え方にも合致したものであることが分かります。

伊藤智仁投手コーチだからこそできた球界の常識を覆す試み。ヤクルトの連覇と日本一奪還にどのように影響するのか、全野球ファンが注目しています。

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